“社会的距離”ということばへの違和感

前回の雑文“ソーシャルディスタンス”か“ソーシャルディスタンシング”かで、感染症対策としての英語の“Social distancing”が日本語へ入る段階で“ソーシャルディスタンス”というカタカナ外来語になり、それが「人と人との距離」あるいは「人と人との距離をあけること」という二つの意味で使われていることを書いた。今回はそれと同じ意味とされる“社会的距離”についての雑文である。

“社会的距離”というからにはカタカナ外来語“ソーシャルディスタンス”のもっていた「人と人との距離をあけること」という行為を示すほうの意味がなくなる(あるいは薄れる)のではないだろうか。「社会的距離を実施しましょう」と言われた場合、「距離を実施する…とは?」とわかったようでわからない状態におちいる。国語辞典を数冊ひいても“距離”という見出し語に「距離をあけること」という語釈がないため、それも当然であろう。

どうも英語の“Social distance”が日本語に入る段階で“社会的距離”が生まれ、その用語が社会学等で用いられていた。最近のコロナ禍で“Social distancing”の概念がニュース等で取りあげられるようになると、日本語ではその概念を“ソーシャルディスタンス”というカタカナ外来語で表すようになり、同時に既存の“社会的距離”という漢語を持ち出してきたということのようである。

しかしこの“社会的距離”という言い方、耳から聞いても目で見てもなんだかわかるようでわからないことばである。このような違和感を生ずる原因を少し整理してみたい。

近代翻訳語としての“社会”

“社会的距離”という漢語について、とくにその構成要素の一つである“社会”という語について見てみたい。

“社会”という語を『日本国語大辞典(第二版)』と『広辞苑(第七版)』でひくと、いずれも「福地桜痴(源一郎)の訳語」と書かれている。もちろん、古くからの漢籍に「社会」という語がなかったわけではない(『近思録』など)が、西洋的なSocietyの概念と同義の翻訳語として現れたのは、明治初期(1875年)以降だ、そしてその訳語を作ったのは福地源一郎だというのが辞書的解説である。

惣郷正明・飛田良文編(1986)『明治のことば辞典』東京堂出版は、明治期に生まれたことばに特化した辞典で、こういう“社会”のような漢語についての解説に詳しい。“社会”の意味を解説した箇所には次のように書かれている。

齋藤毅の『明治のことば』によると、…(中略)…今日の意味で用いられたのは、明治8年1月14日『東京日日新聞』の「吾曹ハ其全局ノ主旨ト全文ノ遣辞トヲ以テ此安宅君は必ズ完全ノ教育ヲ受ケ高上ナル社会ソサイチーニ在ル君子タルヲトスルヲ得ルニ付キ」(福地源一郎執筆)であるという。

惣郷正明・飛田良文編(1986)『明治のことば辞典』東京堂出版 209ページ

上記のとおり『明治のことば辞典』は齋藤毅『明治のことば』をひきながら、“社会”の初出を福地源一郎の『東京日日新聞』の記事にもとめる。『日本国語大辞典(第二版)』も『広辞苑(第七版)』も『明治のことば辞典』の記述を踏襲しているものと思われる。

しかし齋藤毅『明治のことば』を見ると、「福地源一郎が最初」と指摘したのは齋藤毅ではなく、齋藤毅が先行研究でひいた井上哲次郎の1924年の記述であることがわかる。その時期が具体的に「明治8年」と指摘されたのは1954年の『東京大学文学部社会学科沿革七十五年概観』に掲載された井上哲次郎の記述によるとのことだ。

齋藤毅『明治のことば』は「第五章 社会という語の成立」において、豊富な文献資料の用例を挙げたのちに、次のような結論をくだしている。

以上みてきたところをまとめてみると、「社会」ということばの初出は、わが国では文政九年(1826年)であったが、それは今日使われているような意味内容を具えたものではなかった。今日使われるような意味での「社会」の誕生は遅くとも明治8年(1875年)であるが、それが一般に普及しはじめたのは、明治10年(1877年)ごろからであったらしい。しかし、「社会」の語が普及しはじめたのちも、なお、他の多くの類語が使われ、なかなか統一に至らなかった。

齋藤毅(1977)『明治のことば』講談社 220ページ

齋藤毅『明治のことば』が特に重点を置いているのは、“社会”という語を誰がいちばん最初に作ったのかという古さ競争ではなく、西洋世界の“Society”という概念が従来の日本語にはなく、翻訳するのにすこぶる困ったということである。その困難ぐあいは、“社会”が生まれる前後に“仲間”“人倫交際”“組”“交際”“社交”等々数多くの訳語があったことからもわかる。

翻訳語として便利な“的”

次に、“社会的距離”の“的”だが、これは英語“-tic”の音訳語と言われるように、前の漢語を形容詞的な語に変容させることができる字である。名詞“Society”が“社会”であれば、形容詞“Social”は“社会的”というように簡単に語を派生させることができるほど便利だ。しかし、単純に感染症の拡散を防ぐための距離(具体的には2m以上らしい)のことをそのままなんとなく“社会的距離”と名づけていいのだろうか。

“社会的”の具体的な意味

柳父章は『翻訳語成立事情』で“社会”ということばについて述べた文章の最後を次のように閉じている。

このころつくられた翻訳語には、こういうおもに漢字二字でできた新造語が多い。とりわけ、学問・思想の基本的な用語に多いのである。外来の新しい意味のことばに対して、こちらの側の伝来のことばをあてず、意味のずれを避けようとする意識があったのであろう。だが、このことから必然的に、意味の乏しいことばをつくり出してしまったのである。
そして、ことばは、いったんつくり出されると、意味の乏しいことばとしては扱われない。意味は、当然そこにあるはずであるかのごとく扱われる。使っている当人はよく分らなくても、ことばじたいが深遠な意味を本来持っているかのごとくみなされる。分らないから、かえって乱用される。文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである。

柳父章(1982)『翻訳語成立事情』岩波書店(岩波新書) 22ページ

昨今“社会的距離”が連呼されている状況はまさに上掲引用文のようなことになっているように思える。“社会的距離”ということばを聞いて即座に具体的な意味が思い浮かぶであろうか。「分らないから、かえって乱用される」とは言い得て妙である。

中国語は“Social distancing”をどう表現したか

ところで、中国語で“Social distancing”はどのように言われているのであろうか。ざっと検索してみたのみだが、次のいくつかの言い方があるようだ。

  • 社交疏远
  • 社交疏离
  • 社交隔离
  • 社交距离
  • 保持社交距离

清末に“Sociology”という学問は、最初“群学”という中国語に訳された。その後、日本語で“社会学”という言い方が広まっていて、それを中国語が取り入れて中国語でも“社会学”と言うようになった、というのはよく聞く話である*[1]“群学”と訳したのは厳復であるとされるが、同時代の譚嗣同(1899刊)『仁学』や『清議報』1899年に“社会学”のことばは見える。。しかし、“Social distancing”に関していえば、“社会”を使った言い方はほぼ見当たらず、ほとんどは“社交”を使って表現しているようだ。

“Social”は“社会的”か

手元の『ウィズダム英和辞典(第2版)』で“Social”を引くと、語釈第一項は「社会の,社会に関する,社会的な」であるが、第三項aは「社交の,懇親の(ための);社交上の」である。第三項aの用例に「have a busy social life:人付き合いに多忙である」「social drinking:付き合い酒」とあり、“Social”を一様に「社会的」と訳さない使い方が紹介されている。たとえば「have a busy social life」を「社会的生活に多忙である」とか「social drinking」を「社会的飲酒」と訳した場合、果して意味が通じるであろうか。

明治初期にも“Social”を“社交の”と訳した例はいくつかある。齋藤毅『明治のことば』の挙げた用例から探すと、次のとおりである。

明治7年(1875年)人間社交ソシアルライフニシテ…(西周『人生三宝説』明六雑誌、第40号)
明治11年(1878年)余ガ夙トニ社交ソーシヤルノ利害及ヒ…(深間内基訳『ミル男女同権論』)

齋藤毅(1977)『明治のことば』講談社 208, 214ページ

明治初期の翻訳者たちにせよ、現代の英和辞典にせよ、日本語でも“Social”を“社交(の)”と訳す例はいくらでもあるのだが、今、“Social distancing”は“ソーシャルディスタンス”になり、時に“社会的距離”と言い換えられながらニュース等をにぎわす単語になってしまった。抽象的でわかりにくい“社会的距離”ということばは、多くの人々に伝わっているのであろうか。

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1. “群学”と訳したのは厳復であるとされるが、同時代の譚嗣同(1899刊)『仁学』や『清議報』1899年に“社会学”のことばは見える。
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